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献立とか。カレーを多めに
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権勢誇る美食の接待 大内氏館跡からタイやカモの骨
2006年07月24日14時31分
 室町時代に西国一の権勢を振るった守護大名・大内氏の館跡=山口市大殿大路、国指定史跡=で食物残滓(ざんし)が大量に見つかり、分析の結果、タイやカモなどの骨とわかった。当時の記録には豪華な料理で要人をもてなしたという記述があり、発掘した山口市教育委員会は「繁栄を極めた西の京の美食の一部を裏付ける物証」とさらに調査を続けている。
宴会用の土師器と共に掘り出された食物残滓=山口市大殿大路の大内氏館跡で


 食べかすが見つかったのは史跡内北側。試掘した約30基の土坑のうち、周囲1.2メートルの穴から宴会に使われたと見られる土師器(はじき)と共に、生き物の骨が大量に見つかった。

 分析に当たった土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアム(山口県下関市)によると、魚骨はスズキ属やイサキ科、アジ、タイの仲間。ツグミ大の鳥の指骨やカモ類の腰骨があった。九州・中国の土壌は強い酸性で骨が溶けることが多いといい、分析した沖田絵麻さんは「焼けた状態だったため酸化を免れたようだ」とみている。

 山口県文書館所蔵の「明応九年(西暦1500年)三月五日将軍御成雑掌注文」には、将軍職を追われた足利義稙が大内氏を頼って山口を訪れた際の宴会の献立が記されている。土師器に盛った膳(ぜん)が25膳106皿以上交互に出て、当時の山口では手に入らないサケや昆布、数の子のほか、タイやスズキの刺し身、伊勢エビの舟盛り、コウノトリの肉料理など美食ぶりを詳細に伝えている。1549年に毛利元就を招いた席にはカワウソやツルなどが一晩に10膳以上出たとの記録も残っている。

 今回はコウノトリなど大型の鳥類は見つかっていない。調査した同市教委の北島大輔主事は「他の土坑にも調査を広げ、トイレとみられる遺構から出た土の寄生虫分析とも併せて当時の食生活を裏付けたい」と話す。

 大内氏は14世紀半ばから16世紀半ばにかけて、中国の明や朝鮮などとの交易で富を得た。京都や世界の先進文化を採り入れて雪舟やフランシスコ・ザビエルを保護し、西の京を築いた。

 「萩藩毛利家の食と暮らし」の著書があり、大内氏の食生活を調べた食文化研究家の江後迪子さんは「宴会は戦乱の世としては全国に例がない豪華なもので、大内氏の繁栄を象徴する。今回の発掘で文献の一部を裏付けた意義は大きい」と話す。

asahi.comより

 おもしろいですよね。昔の人の生活が分かるって。
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